某国立大学で博士号(理学)取得後、経営コンサルティング会社に就職。
それもつかの間、会社を退職し職のあてのないまま妻を追ってインドネシアへ。
私(saya)が体験したこと、思ったこと、新しく知ったこと等を気ままに書いていきます。

シンガポール&インドネシアのことが中心です。

Singapore Life

Singapore Life

2015年3月15日日曜日

シンガポールで行ってみた ~からゆきさんの眠る日本人墓地公園「Japanese Cemetery」


僕は墓に行くのが好きである。
というと、こいつ何言ってるんだと思われるかもしれないが、奇麗に掃除されている園内で、線香のにおいが微かに香る中、墓碑を見ながらその人の人生に思いを馳せることで何か神妙な心持になることがあるからだ。

元々、ここに興味を持ったのは、岩崎育夫著「物語 シンガポールの歴史」という本を読んだ時に興味を持ったからで、古くから東南アジアの交易がおこなわれる中、多くの日本人が当時からシンガポールに足を踏み入れていたということで、先人たちの眠る地をこの目で確認してみたいと思った。

戦争中に日本がシンガポールを統治していたという事実からも、シンガポールの歴史の中で戦争絡みの色々なエピソードがあると思うが、古くから民間人として多くの日本人もこの地に足を踏み入れていた。
商人、漁民以外にも有名な「からゆきさん」と呼ばれる売春婦女性も多く渡ってきたとのこと。

「からゆきさん」とは「唐行きさん」と書き、唐=外国へと売られていった若い娘たちを指すそうだ。交易が盛んであるということは、多くの男性労働者が集まるわけで、自然売春産業も発達する。上述の本によると、「マニラ、バンコク、ジャカルタ、香港などアジアの主な港町(中略)最大の街はシンガポールだった。」とのことで、1877年に14人だった唐行きさんは、1903年には585人に達しており、在星シンガポール日本人の多くを占めたとのこと。

しかし悲しいことに、「日本が戦勝国の一員として世界の大国になると、シンガポール在住の日本人商社員などの間から、からゆきさんは日本の恥であるとの声が出て、1920年に日本人領事館が日本人売春婦の追放を決定した」とのこと。

この日本人墓地で最も古い墓は1889年に亡くなった唐行きさんとのこと。
吉原近くの遊女の投げ込み寺である浄閑寺を思い出した
ここに葬られた人は良い方で、そこらへんに捨てられたり、生ききながらワニの餌になったものもいたとか。
日本人会発足の経緯も、この日本人墓地管理であったことから、日本人会発足と唐行きさんは密接なつながりがある。
以下のAsia Xに詳しい記事もあるのでご参照のこと。
http://www.asiax.biz/life/kira/205k.html
※このページによると、「毎年314日には、墓地公園で日本人会主催の慰霊祭が開催されています。当日は午後5時から日本人会史蹟史料部によるガイドツアーの後、午後6時から慰霊祭が始まり、大使および日本人会会長の挨拶と献花、黙とう、墓参などが行われます。誰でも自由に参加できます。」とのこと。昨日じゃないか!!!行ってみたかった。
  
バスでも行けると思うが僕は散歩が好きなので、最寄りのSerangoon駅から歩くことに。
閑静な住宅街を抜けると、突如冒頭の写真の門が現れる。


園内にはいくつかの説明用パネルが設けられているので、日本人会の歴史等知ることができる。


※元々この地はゴム園だった。



※唐行きさんの墓